【日露戦争凱旋観兵式記念切手】
買取実績と情報をご紹介します!
日露戦争凱旋観兵式記念切手の買取をご利用されたお客様の声
査定士より 日露戦争凱旋観兵式記念切手の買取なら福ちゃんにおまかせください
千葉県千葉市のお客様から切手の買取依頼をいただきました。たくさんある切手の中で、1906年4月29日に発行された「日露戦争凱旋観兵式記念切手」をご紹介です。
年月による多少の痛みなどはあるものの1銭5厘切手と3銭切手の両方揃ってのお買取りとなりました。両方そろってのお買取りは珍しく、お客様は古い切手故に売れるかどうかのご心配をされていましたが、表も裏も比較的美品で、価値に見合ったお値段を付けさせていただいたところ、「思った以上でした」と言ってくださいました。
弊社の切手買取のご利用、誠にありがとうございました。
日露戦争凱旋観兵式記念切手とは
日露戦争凱旋観兵式記念切手は、1906年(明治39年)4月29日に発行された記念切手です。1904年に勃発した日露戦争にて、1年近くにわたる激戦の末に日本が見事勝利。これを祝して開かれた式典「明治三十七八年戦役陸軍凱旋観兵式」を記念して発行されました。 額面は1銭5厘と3銭の2種類で、いずれも「陸軍兵器」や「菊花紋章」が描かれています。
また、国内で発行された記念切手において、初めて専用の記念印が使用されたのも大きな特徴です。これは記念切手の歴史において非常に珍しく、かなりの価値がある切手といえます。
日露戦争凱旋観兵式記念切手の歴史
1894年から1895年にかけて続いた日清戦争において、日本は大清帝国に勝利します。 これにより、大清帝国に隣接していたロシア帝国は、日本の勢力が拡大することに脅威を感じます。その結果、1904年に日露戦争が勃発。朝鮮半島や満州などを主戦場として、約1年にわたって激戦が続きました。日本は最終的に勝利をおさめ、満州を占領下に置きます。
しかし、日露戦争に勝利した際に結ばれた講和条約調印時、日本は賠償金を得ることができませんでした。そのため、戦争の影響で生活難に陥っていた国民は不満を抱え、中には政府を非難する者もいたようです。
このような状況から勝利と同時に記念切手を発行することができず、兵士たちが凱旋帰国した1906年、明治三十七八年戦役陸軍凱旋観兵式の開催と同時に発行される運びとなりました。
日露戦争凱旋観兵式記念切手の種類
先述したように、日露戦争凱旋観兵式記念切手には「1銭5厘」と「3銭」の2種類があります。 図柄に大きな違いはなく、中央に陸軍兵器、その上に日本を象徴する菊花紋章が描かれています。とはいえ、1銭5厘が青色、3銭が赤色で刷られているので一目で判別可能です。
発行数は1銭5厘が291万枚、3銭が108万枚と2倍以上の差があります。そのため、3銭のほうが希少価値は高く、保存状態によっては高額な値段が付くこともあります。
まず古い切手が売れるのか分からず色々と調べた結果、福ちゃんに切手の買取を依頼させていただきましたが、とても丁寧な印象を受けましたね。もともと切手を集めるのが趣味で長い期間収集しておりましたが、増えてきたこともあり、趣味を縮小するために切手買取店に売りに出そうと決めました。もし納得が出来ない金額を提示されてもキャンセルが出来るという安心感があり福ちゃんにしました。対応してくださった査定士さんは丁寧に1枚1枚見てくださり、雑談で切手の価値についてなど教えてくださったりもしました。価格も思った以上で、とても気持ちよく取引が出来たと思います。ありがとうございます。