着物作家・森口華弘とは?
買取相場はどのくらい?
今回は友禅作家の森口華弘(もりぐちかこう)についてまとめてみました。
森口華弘は重要無形文化財「友禅」保持者、つまり「人間国宝」です。
彼の作品の特徴は「あえて使う色を減らし、色の濃淡で深みを出す」というもの。豊かな発想によって作られる友禅は従来の「煌びやかな京友禅」とは異なり、上品かつ壮大な作品に仕上がっています。
しかし森口華弘は2008年にこの世を去っているため、現存する着物は非常に希少性が高く、買取の世界でもなかなか目にすることはできません。
ここではそんな森口華弘のプロフィールとともに、気になる買取価格についてまとめてみました。
森口華弘とはどんな着物作家?
森口華弘は1909年、滋賀県野洲郡(現在の守山市)で生まれました。
ちなみに、出生時の名前は「平七郎」で、25歳までこの名前を用いていました。体が弱かったという森口少年は小学校を卒業するとすぐに京都の薬店に奉公し、夜間学校に通いながら薬剤師を目指します。
しかし時代は大正に移り、社会全体が大きく変わろうとしていました。
目指していた薬剤師は専門学校の卒業が義務となり、金銭的な事情で専門学校に通うことができなかった彼は、薬剤師の夢を諦めることとなったのです。
しかし、ひょんなことから平七郎の人生は急変します。奉公していた薬屋に貼っていた平七郎の絵を見ていた友禅職人に「染色をやってみないか」とオファーされたのです。
実は絵を描くことが好きだった平七郎。これを人生の転換期とし、実家に「染色の道に進みたい」と申し出ます。
はじめは父親に反対されるも、母方の親戚である坂田徳三郎の説得によって父の同意を得た平七郎。1924年、京友禅師として活動する中川華邨(なかがわかそん)の門下生となります。
当時、「16歳で弟子入りは遅い」とされていましたが、平七郎は寝る間も惜しんで日本画の勉強、図案の模写などに励みました。
ちなみに、当時は第一次世界大戦の兵役義務がありましたが、平七郎の慢性的な睡眠不足と生まれつきの虚弱体質により、徴兵検査は不合格。
「お国のために働くことができなかった」と自分を責めますが、ある徴兵検査官から「男は兵隊になることがすべてじゃない。染色をやり抜くことも立派な奉公だ」と励ましの言葉をもらったというエピソードが残っています。
この頃、「華弘」の名を送られましたが、「25歳になってから改名するように」といわれていたこともあり、すぐにこの名を名乗ることはできませんでした。
約束を守り、晴れて「華弘」となった森口華弘は1936年に妻・知恵と結婚。1939年、京都市で工房を構え、弟子を取るほどの友禅職人に成長していました。
そして、友禅を扱う商社として大手の「安田商店」と取引を開始し、この安田商店が設立した「友禅工芸会社」の取締役技術部長を務めます。
戦後、「完全独立」を果たした森口華弘。東京・上野にある「帝室博物館(現・東京国立博物館)に展示されていた衣装に用いられていた「蒔糊」の技法に注目し、自身の作品に落とし込みました。
これまで京友禅は「多彩で華やか」という特徴を持つとされていましたが、森口華弘の友禅は「色の濃淡だけで日本の美を表現する」というまったく新しいものでした。
1955年には第2回日本伝統工芸展に出店「朝日新聞社賞」を受賞し、翌年、第3回日本伝統工芸展で「文化財保護委員会会長賞」を受賞。
そして1967年、森口華弘の作品の芸術性、これまでの文化的な活動が認められ重要無形文化財「友禅」保持者に認定されました。
人間国宝となった森口華弘は「京都友禅研究会」を発足。さらなる研究と後継者育成に励みました。
1971年には紫綬褒章を、1982年には勲四等旭日小綬章を賜った森口華弘は友禅職人の重鎮として数々の活動を行い、2008年その生涯を閉じました。
「蒔糊技法」と「七五三技法」
森口華弘が確立させた「蒔糊技法」。
これは「蒔絵」からヒントを得たといわれており、竹の皮に餅粉でできた糊を付けて乾かし、細かく砂状にした糊を蒔き、柄を付けていく手法です。
指先の微細な動きだけで絵柄をつけていくため、素人は狙った場所に糊を蒔くことすら難しく、この手法を身に付けるには相当の修行が必要だとされています。
次に「七五三技法」ですが、着物の裾が広がっていく方向に向かって花を大きく、そして立体的に見せる表現をこう呼びます。
もともと京友禅は「内側から外側にかけて色をぼかす」という手法が使われていましたが、森口華弘の描く花は既存の手法に該当しない手法だったため、「七五三技法」という名前が付けられました。
なお、「七五三」という名前の理由、由来については公開されていません。
森口華弘の作品紹介
ここでは森口華弘の作品について
ご紹介していきたいと思います。
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古代縮緬地友禅訪問着『早春』
1955年に制作された『早春』は第2回日本伝統工芸展に出品された作品です。
着物全体を使って梅を描いた本作品は、まさに「美術品」。
着用せず、眺めていたくなるような作品に仕上がっています。 -
古代縮緬地友禅訪問着『四季の香』
1959年に制作された『四季の香』は、第6回日本伝統工芸展に出品された作品です。
四季を漆黒と赤で表現した森口華弘。一度見たら忘れられない、非常にダイナミックな作品となっています。 -
縮緬地友禅訪問着『菊』
1970年に制作されたこの作品は、上野松坂屋で開催された「第6回人間国宝新作展」に出品された作品となっています。
全体がだいだい色で、一面に咲き誇る菊が特徴的なこの作品は現在、東京国立近代美術館に所蔵されています。 -
蒔糊友禅訪問着『菊と梅』
足元の裾からのびのびと咲き誇る菊の花と梅の花が印象的な訪問着で、こちらは一般販売されました。
可憐なピンク、そして日本人に馴染み深い白梅が大変印象的な作品となっています。
森口華弘の着物の
買取額はどれくらい?
着物買取の世界では、「希少性」や「保存状態」、「技術性・美術性」が認められるものとなると、高価買取が実現します。
今回の森口華弘の場合、「人間国宝が手がけた作品」という希少性、また、今後新しいものは作られないということ、独自の作風ということなどが考慮されるため、高価買取が期待できるでしょう。
過去の事例では、30万円の買取価格がついた着物もありますし、時期によってはさらに大幅に価値が変わることもあります。森口華弘の作品をお持ちの方は、ぜひ現在の価格をチェックしてみてください。
ちなみに、これは森口華弘の作品以外にもいえることですが、着物はシミや汚れ、虫食いなどがないものがベターです。そして、作者本人が仕上げたとわかるもの、生産地や織り方などを示す「証紙」があるものは高価買取となります。
ただし、福ちゃんでは付属品がないものでも喜んで査定をさせていただきます。弊社には着物に精通した査定士が在籍しており、「価値に見合った価格」を提示しています。
なお、査定にかかる費用、出張料金などは無料です。
「森口華弘の作品を持っているけど、売却するか悩んでいる」
「現在の価値を知りたい」
などのご依頼も承っております。
キャンセルとなった場合も費用はいただいておりませんので、ぜひお気軽にお問い合わせください。