13代酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)の有田焼|赤絵の歴史や代表作の価格などをご紹介
「13代酒井田柿右衛門の作品はどれくらいの価値がある?」
「酒井田柿右衛門の有田焼はどんな磁器?」
など、13代酒井田柿右衛門について知りたい方のために、柿右衛門窯の歴史や作品などをご紹介します。
高額査定が期待できるお品物や、現在の柿右衛門窯にも触れています。ぜひ参考にしてください。
目次
有田焼「酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)」について
酒井田柿右衛門は、江戸時代から継承される有田焼の窯元で、重要無形文化財保持団体にも指定されています。
現在まで代々襲名されている伝統ある窯元の歴史や、13代の略歴をご紹介します。
柿右衛門窯の歴史
柿右衛門窯の歴史は、初代柿右衛門が日本で初めて赤絵磁器の焼成に成功した1640年代に始まります。赤絵は、一度焼き上げた磁器に、赤や青、緑などの色彩を上絵具で施す技法です。当時としては、画期的な技術でした。
初代は、「濁手(にごしで)」と呼ばれる地肌に赤絵を施す独自のスタイルを確立しました。
これが後に「柿右衛門様式」と呼ばれるようになります。
1600年代に入ると、柿右衛門窯はヨーロッパ向けの作品制作を開始します。高品質で色鮮やか、デザイン性の高い作品は、国内外で高い評価を受け、有田焼の中でも高級品として確立されたのです。
当時、柿右衛門様式は陶芸界でトレンドとなり、多くの窯元で制作されました。しかし、濁手磁器の製法は門外不出の秘伝として、柿右衛門当主のみが受け継ぎました。
1700年代に入り、赤絵磁器の流行が衰退する中、柿右衛門窯は赤絵に金襴手技法を組み合わせた「赤絵金襴手」を開発し、再び注目を集めます。
現在15代当主が率いる柿右衛門窯は、伝統を受け継ぎながら革新的な作品を生み出し続け、日本を代表する有田焼ブランドとして世界中から愛されています。
13代酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)の略歴
13代酒井田柿右衛門は、本名を渋雄(しぶお)といい、1906年に12代の長男として佐賀県で生まれました。
陶技を父から学び、陶芸家としての歩みを着実に進め、1924年に有田工業学校制陶科を卒業しています。
13代の功績で注目すべきなのは、12代とともに復活させた濁手の技術です。
濁手の制作技術は高度であり、金襴手様式の生産に切り替えた背景などから、7代以降に濁手の生産は途絶えたとされています。
しかし、1953年、12代と13代は濁手の技術を復興させることに成功しました。
13代酒井田柿右衛門を襲名したのは1963年で、濁手の地肌を武器に柿右衛門窯を活気づけていきます。
1971年には復興させた濁手が国の重要無形文化財総合指定を受けました。
翌年は13代の陶技も高く評価され、紫綬褒章を受賞しています。
その後もさまざまな秀逸な作品を生み出し続け、勲四等旭日小綬章を受賞するなどの功績を残し、1982年に生涯を閉じました。
13代酒井田柿右衛門(さかいだかきえもん)「濁手地文花瓶」の価格
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