龍文堂(りゅうぶんどう)鉄瓶の価値や歴史、偽物が多い理由などを解説します!
「龍文堂の鉄瓶はどれくらいの価値がある?」
「龍文堂の歴史は?」
など、龍文堂の鉄瓶について知りたい方のために情報をまとめました。
2代目の四方安之助についてや、偽物が多い理由にも触れていますので、ぜひ参考にしてください。
目次
龍文堂(りゅうぶんどう)とは?
龍文堂は、江戸後期から昭和まで続いた、京都の由緒ある鉄瓶工房です。
蝋型鋳造という革新的な技法を確立したことで知られており、その精緻な技巧と美しい佇まいは、現在も多くの愛好家を魅了し続けています。
龍文堂の歴史と特徴、そして現代に受け継がれる至高の技について詳しくご紹介します。
龍文堂(りゅうぶんどう)「鉄瓶」の歴史
龍文堂は、1754年頃に初代・四方龍文(しかたりゅうぶん)によって創業されました。京都府の東洞院付近にて工房を作り、鋳造業を生業にしたことが始まりといわれています。
その後、龍文の長男「安之助(やすのすけ)」が家業を継承し、龍文堂の名を世に知らしめる礎を築きました。
初代の名に因んだ号である「龍文堂」は、先祖代々受け継がれ、1958年8代まで継承されました。龍文堂の発展は、2代目の安之助による功績が大きかったといえるでしょう。
安之助は、優れた技術と独創的なデザインで数々の名作を創出。中国古銅器からインスピレーションを得て制作した鉄瓶は、当時の業界に大きな衝撃を与えました。
安之助は、名匠を育てた指導者としても有名です。
たとえば、青銅器の創作で名高い鋳金家、「秦蔵六(はたぞうろく)」が弟子の1人として知られています。ほかには、自然や山水をモチーフとした鉄瓶が高い評価を得ている、亀文堂の創業者「波多野正平(はたのしょうへい)」も有名な弟子の1人です。
このように、後に名匠となる多くの弟子を育てました。
彼らによって龍文堂の技術はさらに発展し、京都の鉄瓶芸術を牽引する存在となったのです。また、安之助は晩年、鉄瓶だけではなく、陶器の制作も手がけました。
そのような安之助の功績もあり、龍文堂は名工房へと成長を遂げたのです。
龍文堂(りゅうぶんどう)「鉄瓶」の特徴
龍文堂の鉄瓶といえば、ほかの鉄瓶とは一線を画す、表面の滑らかな質感が特徴です。
その秘密は、蝋型鋳造と呼ばれる伝統的な技法にあります。
従来の鉄鋳物では、鋳造技法と呼ばれる技法が主流でした。しかし、鋳造技法では表面が粗く、複雑なデザインを表現することが難しかったのです。
一方、龍文堂が採用する蝋型鋳造は、蝋で原型を作成し、その周りに鋳型を作る技法です。蝋は自由に形を変えられるため、流麗で緻密なデザインを実現できます。
龍文堂は、伝統的な蝋型鋳造の技術を極め、そこに現代的なデザインを取り入れることで、唯一無二の高品質な鉄瓶を生み出しています。
龍文堂(りゅうぶんどう)「鉄瓶」の価値
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