「西村徳泉の水指はどれくらい価値がある?」
「西村徳泉はすごい陶芸家?」
など、陶芸家の西村徳泉や水指等の作品について知りたい方のために、略歴や買取相場などを解説します。
ぜひ参考にしてください。
江戸時代から受け継がれる「西村徳泉」の京焼
西村徳泉は、京都を代表する陶芸家の一族です。
初代が江戸時代後期に京都の五条坂に開窯して以来、京焼の名工として「西村徳泉」という世襲名を一族が代々受け継いでいます。
2020年に五代目が襲名し、現在も京焼の伝統を守る作家として注目を集めています。
三代西村徳泉について
代々京焼を受け継いできた西村徳泉は、三代目の功績がとくに大きかったといわれています。
京焼の振興に貢献した三代目西村徳泉の略歴や代名詞ともいえる「紫翠窯」について紹介します。
略歴
三代西村徳泉は、二代目の息子として1928年に京都府で生まれました。
陶芸界の重鎮として知られていた楠部彌弌や、清水焼の名工で知られる六代清水六兵衛に師事し、技術の向上に努めたといわれています。
1971年、京都府宇治市に京焼登窯を移築し、後に「紫翠窯」と窯名を授かります。
その後、京焼の伝統技法を継承・発展させ、祥瑞写、金欄手、赤絵などの技法を用いて、繊細で華麗な作風を築き上げました。その卓越した技巧と美意識は、国内外から高い評価を受け、清水焼伝統工芸士に認定されるなど、数々の功績を残しました。
1984年には伝統的工芸品産業の振興貢献により通産省から表彰を受け、1988年には後継者育成功労で京都市長から感謝状を受けるなどしています。
「紫翠窯」について
三代西村徳泉は、京都の五条坂で登り窯が使用禁止となったことから、宇治市炭山の山里に登り窯と工房を移転。
この登り窯は大徳寺509世桂堂紹昌より「紫翠」の窯名を賜り、以来、数々の名作を生み出しています。
三代西村徳泉が京焼の技術に長けていたことも相まって、名誉ある賞を多数受賞する作品が紫翠窯から生まれています。
三代西村徳泉が手がけた陶芸品の買取相場