1000円札の人物は誰?これまでの「1000円札の歴史」をすべて紹介!
2024年7月3日、新しい日本銀行券として新紙幣が登場しました。この1000円札に描かれているのは「北里柴三郎」です。
これまで日本の1000円札は時代と共にその肖像を変遷させてきました。日本銀行券のひとつである1000円札は、全部で6種類発行されています。
この記事では、それぞれの1000円札の特徴や歴史について詳しく解説。過去の紙幣に興味がある人や1000円札を売りたいとお考えの人も、ぜひご覧ください。
※2024年の日本銀行券改刷に伴い、新しい紙幣を追記いたしました。
目次
1000円札とは?
1000円札(千円紙幣)は、額面が1000円の紙幣で、「千円券」「千円札」とも呼ばれます。
2024年(令和6年)から発行されている現行の1000円札は、北里柴三郎の肖像が描かれたF号券です。
これまでに発行された1000円札は、F号券を含め、「甲号券」「B号券」「C号券」「D号券」「E号券」の計6種類が存在します。
1000円札のA号券は発行まで計画されましたが、さまざまな理由から実際に発行されることはありませんでした。
1000円札の人は誰?
買取市場で見かける機会が多い過去の1000円札は、B号券、C号券、D号券。そして、甲号券は見かける機会が少ないものの、古銭市場では高額で取引されています。
ここからは、歴代の1000円札に描かれた人物やデザインの特徴について詳しく見ていきましょう。
日本武尊甲号券(兌換券甲号)
「日本武尊甲号券」は、1942年(昭和17年)4月20日に発行を公示、1945年(昭和20年)8月17日から使用開始となった日本で初めての1000円札です。
紙幣の図案には「日本武尊」と「建部神社本殿」が描かれています。
この甲号券は、1941年(昭和16年)にはすでに製造が始まっていましたが、戦時中のインフレーションへの懸念から、実際に発行されたのは終戦直後です。
発行の背景には、1942年(昭和17年)の日本銀行法施行による「兌換銀行券」発行期限の問題がありました。
すでに製造されていた甲号券を発行できなくなる事態を避けるため、形式的な通知が出され、発行準備が進められていたのです。
終戦直後、ほかの新紙幣とともに発行が開始されましたが、その寿命は非常に短いものでした。新円切替に伴い、1946年(昭和21年)3月2日には早くも失効。発行期間は1年にも満たないものでした。
製造枚数は810万枚と記録されていますが、実際にどれだけの枚数が流通したのかは不明です。
聖徳太子B号券
聖徳太子が描かれたB号券は、1950年(昭和25年)1月7日から、1965年(昭和40年)1月4日まで発行されました。
表面には「聖徳太子」、裏面には「法隆寺夢殿」が描かれています。聖徳太子の肖像は10000円札にも使用されていましたが、1000円札の流通期間は10000円札に比べて非常に短くなりました。
当初、インフレーション抑制を目的とした新円切替に伴い、新紙幣(A号券)が発行される予定でしたが、1000円札の発行は見送りとなります。
しかし、その後もインフレーションが継続し、当時の最高額面であった100円札の発行枚数が急増。
より高額な紙幣の必要性が高まったことに加え、粗悪な作りのA号券の偽造が横行したため、ほかのB号券に先駆けてB号1000円札が発行されることとなりました。
伊藤博文C号券
伊藤博文が描かれたC号券は、1963年(昭和38年)11月1日の発行から1986年(昭和61年)1月4日の支払停止まで存在した1000円札です。
B号券の偽造多発を受け、最新の印刷・偽造防止技術を導入したC号券が1963年に発行されました。デザイン選定では、聖徳太子、渋沢栄一、伊藤博文の3案が最終候補となり、最終的に伊藤博文が選ばれています。
C号券の表面には「伊藤博文」の肖像、裏面には「日本銀行本店本館」が描かれています。額縁状の枠を取り払った、開放的なデザインです。
記番号は当初黒色でしたが、発行枚数増加により1976年7月以降は「青色(紺色)」に変更。透かしは伊藤博文の横顔で、国会議事堂の銅像をモデルにしています。明るい色調やグラデーションを用いた、当時としては斬新なデザインでした。
なお、伊藤博文の1000円札は、聖徳太子が描かれた1958年(昭和33年)発行の「10000円札」と1957年(昭和32年)発行の「5000円札」と同じ年に支払いが停止されています。
この結果、3種類の紙幣が同時に切り替えられることになったのです。
夏目漱石D号券
夏目漱石が描かれたD号券は、1984年(昭和59年)11月1日の発行から、2007年(平成19年)4月2日の支払停止までの1000円札です。
表面には「夏目漱石」、裏面には「タンチョウ」が描かれています。B号券とC号券は同じサイズでしたが、D号券は長辺が14mm短くなりました。この次に発行されている野口英世のE号券も、このD号券と同じサイズです。
D号券も大量発行により記号番号が一巡し、記号番号の色は当初の黒色から、青色、褐色、暗緑色へと変更されました。暗緑色の紙幣は、大蔵省印刷局、財務省印刷局、国立印刷局の3種類が存在します。
また、1993年(平成5年)12月1日発行分からは、マイクロ文字や特殊発光インキなどの高度な偽造防止技術が導入されています。
野口英世E号券
2004年(平成16年)11月1日より発行が開始されたE号券は、現在は製造が終了している1000円札です。
表面には細菌学者の「野口英世」、裏面には「富士山と桜」が描かれています。この富士山の図柄は、写真家・岡田紅陽の「湖畔の春」をもとにしたデザインで、D号5千円札にも採用されていますが、桜の配置などが微妙に異なります。
E号券の発行は、D号券発行から約20年が経過し、印刷技術の進歩や複写機の高性能化などを背景に偽造券が増加してきたこと、そして諸外国の紙幣が新技術を導入する中で日本だけが旧世代の紙幣を使い続けるリスクを考慮して発行されたものです。
記番号は、発行当初は黒色だったものを発行枚数の増加に伴い、2011年7月からは褐色、さらに2019年3月からは紺色に変更されました。
E号券は2022年9月までに製造が終了しており、2024年7月には新たなF号券が発行されています。
北里柴三郎F号券
2024年(令和6年)7月3日に発行開始となったF号券は、最新の偽造防止技術とユニバーサルデザインを備えた新世代の1000円札です。
表面には微生物学者であり細菌学者でもある「北里柴三郎」、裏面には葛飾北斎の浮世絵「神奈川沖浪裏」が描かれています。D号券、E号券と同様に青色系を基調としたデザインで、表面中央下部にあしらわれた山桜が目を引くデザインです。
F号券では、額面の表示方法が大きく変わりました。
従来の漢数字表記に加え、アラビア数字の「1000」が大きく表示されています。これは、視認性を高めるための工夫です。
また、アラビア数字「1」の字体は、1万円札との識別を容易にするため、上部のカギが省略されたデザインとなっています。
偽造防止技術として導入され、見る角度によって北里柴三郎の顔の向きが変化する3Dホログラムで、紙幣への採用は世界初となりました。
1000円札を売りたいと思ったら
ここまで、各年代の1000円札の歴史と特徴について解説してきました。
現在も有効な銀行券であり流通量も多いB号券からE号券は、一部の例外を除くと額面以上の価値はありません。
しかし、甲号券は例外です。
発行枚数が少なく、ほとんどが回収されたため現存数が非常に限られています。そのため、希少性が高いことから高額で取引されています。
また、B号券からE号券であっても、印刷ミスのあるエラー紙幣や珍しい記番号の紙幣は、プレミア価格が付く可能性も。
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