古金銀とは?意味や種類別の価値を紹介!買い取ってもらう方法も
「古金銀って買い取ってもらえるの?」
「まだ価値がある古金銀の種類は?」
など、古金銀の買取を検討している方のために古金銀の情報をまとめました。
特徴や歴史、種類別にまとめた価値などを紹介しています。
目次
古金銀って何?特徴や歴史
まずは古金銀についての基本的なことを解説します。
古い金や銀と書きますが、古い金と銀、全てを「古金銀」と表すわけではありません。
古金銀の特徴や歴史などを通して、古金銀に関して理解を深めましょう。
古金銀とは?
古金銀とは、江戸時代から明治時代にかけて貨幣として発行された金貨や銀貨を指します。
現在、製造も流通もしていない古銭の仲間というわけです。
昔の金貨というと、小判を思い浮かべることが多いですが、ここでは小判以外の一分判金などを中心に取り上げていきます。
古金銀の当時の価値
- ✔︎ 二分・・・1/2両
- ✔︎ 一分・・・1/4両
- ✔︎ 二朱・・・1/8両
- ✔︎ 一朱・・・1/16両
古金銀は、当時「両」という単位で価値がつけられていました。
小判1枚を1両として、1/2両の「二分」、1/4両の「一分」、1/8両の「二朱」、1/16両の「一朱」という額面で流通していたと言われています。
素材に関わらず、金貨も銀貨も額面の価値で扱われ、差はありませんでした。
しかし、1772年以前の銀貨は重さで価値をはかる秤量貨幣だったので、形が一定ではない「丁銀」と呼ばれるものや、大きさや重さが一定の「豆板銀」と呼ばれるものが流通していたとされています。
古金銀の発行経緯
江戸時代、天下統一を果たした徳川家康は、貨幣に関する実権を幕府のものにするために貨幣制度の統一をはかります。
そして、全国で使用できる金貨や銀貨の発行へと着手しました。
銀貨や銀貨を鋳造する金座や銀座を設置し、三代将軍家光の時代には銭貨の製造も加わって穴銭の寛永通宝が発行されたと言われています。
日本初、金・銀・銭の三貨幣が全国流通した時代です。
寛永通宝について詳しくはこちら↓
「寛永通宝」とは?種類別の価値やレアものの見分け方、買取可能か解説
注目されている古金銀の種類や価値|一分判金(一分金)編
一分判金は、1/4両の価値で流通していた金貨で、表面中央に額面とその上下に桐紋、裏面に金座を取り仕切っていた後藤庄三郎光次の署名と花押が刻印されているのが特徴です。
なかには時代印が刻印されているものもあります。
そのなかから、コレクターも注目している種類をいくつか紹介します。
慶長一分判金(慶長一分金)
- ✔︎ 重量:約4.5g
- ✔︎ 素材:金 約86/銀 約14(%)
- ✔︎ 寸法:約15×約20×約3(mm)
慶長一分判金は、1601年の慶長6年に鋳造された最初の一分判金です。
江戸時代に作られた古金銀の中では金の含有率が高く、高品質の金貨として今でも注目されています。
古銭としても金貨としても価値が高いため、買取に出すと数万円の価値が期待できるでしょう。
また、約90年間江戸時代の基軸通貨として流通していた経緯から、劣化しているものがほとんどと言われています。
損傷が軽いものや未使用のものは数十万円になる可能性もあるでしょう。
慶長一分判金について詳しくはこちら↓
慶長一分判金(慶長一分金)の価値。重さなどの特徴や買取価格、その他一分金の紹介
元禄一分判金(元禄一分金)
- ✔︎ 重量:約4.5g
- ✔︎ 素材:金 約56.4/銀 約43.6(%)
- ✔︎ 寸法:約10.7×約16.4×約2.3(mm)
元禄一分判金は、1965年の元禄8年に製造されました。
長期間流通して劣化が激しくなった慶長一分判金に変わって流通させる目的で発行されたと言われていますが、財政難の幕府が改鋳利益を得る目的もあったとされています。
裏面には時代印の「元」が彫られており、「元字一分判」と表されることもあります。
慶長一分判金と比較すると金の含有率が低くなっていますが、古銭として希少価値が高い金貨です。
現存数が少ないため、10万円前後の買取価格がつくことも珍しくありません。
元禄一分判金について詳しくはこちら↓
元禄一分判金(元禄一分金)の買取!歴史や現在の価値・価格について
宝永一分判金(宝永一分金)
- ✔︎ 重量:約2.4g
- ✔︎ 素材:金 約83.4/銀 約16.6(%)
- ✔︎ 寸法:約8.8×14.6×1.5(mm)
宝永一分判金は1710年の宝永7年に発行され、1738年に通用停止になりました。
当時は金の産出量が低迷していましたが、慶長一分判金と同じくらいの金品位を保ったものの製造を目指した結果、非常に小さい形になったと言われています。
裏面には「乾」の字が刻印されており、「幹字一分判」と呼ばれることもあります。
現存数があまりないので希少価値も評価され、5万円前後の査定額が期待できるでしょう。
また、美品だったり刻印されている「乾」の書体が珍しかったりする場合は、査定額が10万円前後に跳ね上がる可能性もあります。
宝永一分判金について詳しくはこちら↓
宝永一分判金(宝永一分金)の買取について。価値や相場を紹介
元文一分判金(元文一分金)
- ✔︎ 重量:約3.3g
- ✔︎ 素材:金 約65.7/銀 約34.3(%)
- ✔︎ 寸法:約9.9×16.1×1.7(mm)
元文一分判金は、1736年の元文元年に鋳造開始されました。
裏面には時代印の「文」が楷書体で刻印されており、「文字一分判」と呼ばれることもあります。
また、楷書体が真書体と呼ばれていたことから、「真文一分判」と表されることもあります。
品位を落として大量製造された経緯があり、作りも雑だったことから、金貨としても古銭としてもあまり評価されず、15,000円前後で買取されることが多いでしょう。
刻印が鮮明な美品はあまり残っていないと言われており、希少価値が高いため、査定額の向上が見込めます。
元文一分判金について詳しくはこちら↓
元文一分判金(元文一分金)は買取可能?当時の価値や現在の価格相場を紹介
文政一分判金(文政一分金)
- ✔︎ 重量:約3.3g
- ✔︎ 素材:金 約56.4/銀 約43.6(%)
- ✔︎ 寸法:約11.4×17.1×1.6(mm)
文政一分判金は、1819年の文政2年に鋳造されました。
時代印として裏面に「文」が刻印されていますが、元文一分判金と区別するために草書体が使われています。
そのため、「草文一分判」や「新文一分判」と表されることがあります。
文政一分判金の買取相場は約15,000円で、他の一分判金と比較するとあまり高くありません。
文政一分判金について詳しくはこちら↓
文政一分判金(文政一分金)の買取相場。その他一分金の種類や文政時代の金貨等紹介
天保一分判金(天保一分金)
- ✔︎ 重量:約2.8g
- ✔︎ 素材:金 約56.8/銀 約43.2(%)
- ✔︎ 寸法:約10×16×1.6(mm)
天保一分判金は、裏面に時代印の「保」が刻印されている金貨で、1837年の天保8年に鋳造されました。
江戸時代も後半に入り、鋳造技術が発達した頃と言われています。
そのため、天保一分判金以前に製造された他の一分判金よりも美しく、コレクターにも人気が高い金貨です。
数万円で取引されることが多く、未使用であればさらなる高額買取も期待できるでしょう。
天保一分判金について詳しくはこちら↓
天保一分判金(天保一分金)の買取相場。重さや天保一分銀との違いなど
注目されている古金銀の種類や価値|二分判金(二分金)編
二分判金は、1/2両で流通していた金貨で文政時代に発行されたものが最初です。
デザインは一分判金とほとんど変わらず、額面の部分は「二分」と彫られています。
文政二分判金のみ裏面に時代印が刻印されており、その他の二分判金に時代印はありません。
見分け方も解説するので、ぜひ参考にしてください。
文政二分判金(文政二分金)
- ✔︎ 重量:約6.7g
- ✔︎ 素材:金 約56.3/銀 約43.3/その他 約0.4(%)
- ✔︎ 寸法:約12.7×21.5×2.1(mm)
草文二分判(草字二分判)
- ✔︎ 重量:約6.7g
- ✔︎ 素材:金 約48.9/銀約50.6/その他 約0.5(%)
- ✔︎ 寸法:約12.7×21.5×2.1(mm)
文政二分判金には、文政元年に発行された「真文二分判」とその約10年後に発行された「草文二分判」があります。
真文二分判は裏面の時代印「文」が楷書体で彫られ、草文二分判は草書体で彫られているのが特徴です。
当時流通していた元文小判に劣化が見られたため、元文小判と引き換えるために真文二分判が発行されましたが、改鋳利益を獲得するために金品位が下げられています。
その後、改鋳利益を得る目的でさらに金品位が下げられた草文二分判が発行されました。
買取相場は数万円とされていますが、真文二分判の方が査定額が高くなる傾向にあります。
文政二分判金について詳しくはこちら↓
文政二分判金(文政二分金)の買取価格は?真文二分金の特徴や他の二分金の種類等
万延二分判金(万延二分金)
- ✔︎ 重量:約3g
- ✔︎ 素材:金 約22.8/銀 約76.8/その他 0.4(%)
- ✔︎ 寸法:約12.2×19.5×1.4(mm)
万延二分判金は1860年の万延元年に製造開始され、明治時代初期に通用停止となった金貨です。
江戸時代から明治時代にかけて流通した金貨として、今でも注目されています。
万延二分判金は時代印が刻印されていませんが、表面に彫られている「二分」の「分」を見て二画目が跳ねていたら万延二分判金であると言われています。
万延二分判金は金の含有量が極めて低いですが、大量に流通して民に浸透したため、商品価値の基準となったとも言われている古金銀です。
しかし、金品位の低さや流通量が多く希少性が低いことで、買取額は数千円〜数万円と言われています。
万延二分判金について詳しくはこちら↓
万延二分判金(万延二分金)は江戸時代の金貨!当時の価値や買取相場・見分け方
安政二分判金(安政二分金)
- ✔︎ 重量:約5.6g
- ✔︎ 素材:金 約20.3/銀 約79.4/その他 約0.3(%)
- ✔︎ 寸法:約21.6×13.3×2.2(mm)
安政二分判金は1856年の安政3年に鋳造が開始され、4年間だけ作られた金貨です。
幕府が改鋳利益を得る目的で製造したため、金品位は著しく下げられ、金貨としては低品質の部類となります。
裏面に時代印はありませんが、他の時代印がない二分判金と比べると重いため、重さで見分けることができるでしょう。
金の含有率が低いので、金貨としての価値はあまり評価されませんが、4年間というわずかな鋳造期間が古銭としての希少価値を高めており、1万円前後で取引されています。
安政二分判金について詳しくはこちら↓
安政二分判金徹底解説!買取相場や当時の価値、江戸時代のその他二分金の種類と見分け方等
注目されている古金銀の種類や価値|一朱・二朱編
江戸時代は一分や二分という額面の他、1/16両の価値を持つ一朱や1/8両の価値を持つ二朱という額面がありました。
そのなかからコレクターに需要が高い傾向にあるものを4つ紹介します。
文政一朱金
- ✔︎ 重量:約1.4g
- ✔︎ 素材:金 約12.3/銀 約87.4/その他 約0.3(%)
- ✔︎ 寸法:約11.2×11.2(mm)
文政一朱金は江戸時代に鋳造された唯一の一朱金です。
表面には額面の「一朱」と桐紋があり、裏面は後藤庄三郎光次の署名があります。
一朱金として発行されつつも、素材はほとんどが銀で、江戸時代において最低品位とも言えるほど低品質でした。
低すぎる品位が原因で劣化しやすく、小さいサイズが原因で失くしやすかったため、非常に扱いにくかったと言われています。
古銭として希少価値は高いですが、現存しているものでも摩耗や損傷しているものが多いため、数百円から数千円が相場です。
美品は極めて現存数が少ないと言われており、数万円で売買されるケースもあります。
文政一朱金について詳しくはこちら↓
文政一朱金の価値や買取について。一朱銀や二朱金との違いやその他文政の硬貨等
文政南鐐一朱銀
- ✔︎ 重量:約2.6g
- ✔︎ 素材:金 約0.1/銀 約99/その他 約0.9(%)
文政南鐐一朱銀は1829年の文政12年に製造されました。
低品質すぎる文政一朱金が広まらなかったため、上質な銀を約99%含有する文政南鐐一朱銀を発行したと言われています。
表面は「以十六換一兩」と1/16両を表す言葉が彫られ、裏面は子持ち分銅紋と銀貨鋳造所であった銀座の署名とも言える「定銀座常是」とあるのが特徴です。
上銀を使用し、含有率も高い文政南鐐一朱銀ですが、流通量が多かったため相場は数千円となっています。
文政南鐐一朱銀について詳しくはこちら↓
文政南鐐一朱銀の買取相場は?重さなどの特徴や歴史・一分銀との違いなど
文政南鐐二朱銀
- ✔︎ 重量:約7.5g
- ✔︎ 素材:金 約0.2/銀 約97.96/その他 約1.8(%)
文政南鐐二朱銀は1872年の文政7年に製造されはじめた銀貨です。
表面は1/8両を表す「以南鐐八片換小判一兩」とあり、裏面は文政南鐐一朱銀と同じ刻印がされています。
南鐐二朱銀は、文政南鐐二朱銀より前に明和南鐐二朱銀や寛政南鐐二朱銀が発行されました。
明和南鐐二朱銀と寛政南鐐二朱銀を古南鐐二朱銀と呼ぶのに対し、文政南鐐二朱銀は「新南鐐二朱銀」と表されます。
文政南鐐二朱銀は5,000円前後で取引されることがほとんどです。
文政南鐐二朱銀について詳しくはこちら↓
文政南鐐二朱銀(新南鐐二朱銀)の買取相場。当時の価値や発行理由等をわかりやすく解説
安政二朱銀
- ✔︎ 重量:約13.5g
- ✔︎ 素材:銀 約84.8/その他 約15.2(%)
- ✔︎ 寸法:約2×17×3(mm)
安政二朱銀が発行されたのは1859年の安政6年で、鎖国が終わって貿易が始まる頃に22日間だけ製造されました。
安政二朱銀は横浜港開港に合わせて、貿易用に製造されたと言われています。
表面に「二朱銀」と額面が彫られ、裏面は他の一朱銀や二朱銀と同じように子持ち分銅紋と「定銀座常是」の刻印があるのが特徴です。
安政二朱銀は1/4両の価値を持つ一分銀より大きいサイズですが、価値は一分銀の半分だったため「バカ二朱」と呼ばれていました。
しかし、古銭として希少価値が高く、銀の含有率も高いことから、10万円前後の価格がつく可能性があります。
安政二朱銀について詳しくはこちら↓
安政二朱銀の買取相場!現在の価値・特徴・偽物の見分け方や一朱銀との違いも
注目されている古金銀の種類や価値|一分銀編
江戸時代末期には、1/4両の価値を持つ銀貨「一分銀」が流通しました。
表面には「一分銀」、裏面には「定 銀座 常是」と彫られており、1番の特徴は両面の額縁に並んだ桜です。
そのデザインに因み、「桜」と呼ばれていたと言われています。
今回は、一分銀の中から天保一分銀・庄内一分銀・明治一分銀を紹介します。
天保一分銀
- ✔︎ 重量:約8.6g
- ✔︎ 素材:金 約0.2/銀 約98.9/その他 約0.9(%)
- ✔︎ 寸法:約24×16.5×0.3(mm)
天保一分銀は1837年の天保8年に発行された最古の一分銀で、「古一分銀」と呼ばれることもあります。
銀の含有率が非常に高く、高品質である他、開国の時期には国内の標準貨幣となるなど、生活にも根付いた銀貨でした。
大量に製造されて広く流通していたことから、古銭としての希少価値はあまりありません。
劣化や損傷がない状態でも数千円で取引されていることがほとんどです。
天保一分銀について詳しくはこちら↓
天保一分銀の価値や買取価格を解説!安政一分銀などその他一分銀も紹介
庄内一分銀
- ✔︎ 重量:約8.6g
- ✔︎ 素材:金 約0.2/銀 約98.9/その他 約0.9(%)
- ✔︎ 寸法:約24×16.5×0.3(mm)
天保一分銀の表面に「庄」の字が刻印されているものを庄内一分銀と呼びます。
流通していた天保一分銀に、1868年に庄内藩が同時に刻印したと言われています。
当時は天保一分銀の他にも、銀の含有率が下がった他の一分銀が流通していたので、高品質な天保一分銀を見分けやすくするための処置でした。
庄内一分銀は希少価値が高く、数万円の査定額も期待できるでしょう。
また、「庄」の刻印は庄内藩にある酒田や鶴岡という知名で彫られたと言われており、庄内一分銀には酒田製と鶴岡製があります。
鶴岡製の方が比較的珍しいため、高額査定になる傾向にあります。
庄内一分銀について詳しくはこちら↓
庄内一分銀の現在の価値は?買取相場や種類・一朱銀との違いなど
明治一分銀
- ✔︎ 重量:約8.6g
- ✔︎ 素材:銀 約80.7/その他 19.3(%)
- ✔︎ 寸法:約23×15×2(mm)
明治一分銀は、明治時代に発行された唯一の一分銀です。
明治元年から約1年間製造されたと言われています。
江戸幕府が倒れて新明治政府が誕生した頃、金座や銀座も差し押さえとなりました。
新政府は造幣局開設に動き出しますが、それまでは仮の貨幣鋳造機関である「貨幣司」を設けて一分銀の製造を引き継がせていたと言われています。
そのため、明治一分銀は貨幣司一分銀と表されることもあります。
明治一分銀は数千円で取引されることが多いですが、美品は5万円前後の査定額がつく可能性があるでしょう。
明治一分銀について詳しくはこちら↓
明治一分銀の買取相場。当時の価値やその他一分銀の紹介・見分け方
古金銀はどこで買い取ってもらえる?
- ✔︎ ヤフオク等ネットオークション
- ✔︎ フリマアプリ
- ✔︎ 買取業者
古金銀を買い取ってもらう方法として一般的なのが上記3つの方法です。
ヤフオクなどのネットオークションやフリマアプリは、古金銀がよく出品されており、コレクターが頻繁にチェックしています。
しかし、本物なのかどうかを証明したり確認したりする術がなく、信憑性に欠ける部分があるため、相場より低い価格での取引となったり、トラブルが発生したりすることもあります。
買取業者は古金銀に精通した査定士が、状態や需要などから価格を見極めるので、損のない取引が可能です。
個人間取引のようにトラブルが怒ることも少ないため、古金銀は買取業者で買い取ってもらいましょう。
知って納得?古金銀豆知識
古金銀にまつわる豆知識を3つ紹介します。
なんとなく知っている言葉が古金銀に由来することだったり、「なるほど!」と頷けたりする情報をお伝えします。
小判からきた「耳をそろえて返す」
金銭の貸し借りがあった際、一度完済する際「耳をそろえて返す」という言い方をします。
その言葉は、小判が由来となっていることを知っていますか?
小判は金なので、小判の縁をバレないくらいほんの少し削って金くずを集めて儲けようと悪巧みをする人がいました。
しかし、重ねた小判のなかに縁を削られた小判が混ざっていると、小判がそろわず不正が明らかになったと言われています。
小判の両端を耳に見立て「小判の耳がそろう」と言い、「耳をそろえて返す」という言葉はこのことから来ています。
わざと劣化加工していた?
江戸時代前期に大名を勤めていた細川忠利は、当時のお金にわざと古びた加工をさせていたと言われています。
お金の古さはいろんな人に使われた証と考え、貨幣の信用度を上げるために新しいお金であっても新しさを感じさせない見た目にしていたそうです。
劣化しすぎたものは交換対象になりますが、真新しいものも信用がないお金とされることがあったとされています。
小判が薄いわけ
昔は金の重さで価値をはかっていましたが、金塊だと必要な分だけ切り取るのが難しいために小判が製造されました。
また、金塊だと周りだけ金で中身は別のものにするという悪質なことをする輩もいたので、小判は極力厚さがなく中身がない状態のものが望ましかったと言われています。
そのため、薄い形状で製造されました。
古金銀の買取は福ちゃんへ
古金銀は江戸時代から明治時代にかけていろんな種類が発行されました。
それらの古金銀は金や銀の含有率、希少性など、さまざまなことが加味されて適正価格が決定します。
そのため、種類を見分ける目や古銭に関する深い知識、需要や相場などを見極めるプロにしか価値がつけられません。
福ちゃんなら、この記事で紹介した古金銀の買取実績があり、その他の古銭や金貨・銀貨に関しても数多くの取引をまとめてきました。
豊富な知識と経験を持ったプロの査定士が在籍し、古金銀の価値を価格にしっかり反映し、取引することが可能です。
古金銀の買取は福ちゃんにお任せください。
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