毛沢東の足跡を辿る!1965年発行「革命の揺籃《井岡山》」の特徴と中国切手買取市場における価値
1965年発行の中国切手「革命の揺籃《井岡山》」は、中国共産党にとって歴史的な節目となった「井岡山革命」をテーマとした貴重な切手です。
毛沢東率いる「紅軍」の躍進が始まった舞台として、中国革命史において重要な位置を占める井岡山の風景が描かれています。
当記事では、切手の詳細情報に加え、買取価格や高価買取ポイントについて解説します。
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目次
「革命の揺籃《井岡山》」切手とは
1965年発行の中国切手「革命の揺籃《井岡山》」は、中国共産党にとって特別な意味を持つ切手です。
揺籃(ようらん)とは、物事の始まりの時期や場所を意味する言葉。この切手は、中国革命の原点である「井岡山」の風景を描き、革命のストーリーがここから始まったことを示しているのです。
なお、井岡山は「井崗山(せいこうざん)」と表記されることもありますが、今号の福ちゃんコラムでは「井岡山」に統一して解説します。
井岡山は中国江西省に位置する山岳地帯で、中国共産党の初期活動と毛沢東率いる紅軍による井岡山革命の舞台として知られています。1927年から1930年にかけて、毛沢東は井岡山でゲリラ戦を展開し、国民党軍を撃退。
この戦いは、後の長征へとつながり、中国革命の勝利に大きく貢献しました。
「革命のゆりかご」と呼ばれる井岡山は、中国共産党と人民解放軍の聖地として、現在も多くの記念施設や博物館が建てられています。美しい自然景観も魅力で、多くの観光客が訪れる場所となっているのです。
そのような「革命の揺籃《井岡山》切手」は、井岡山の風景を通して、中国革命の精神と功績を伝える目的で発行されました。
「革命の揺籃《井岡山》」切手の特徴やデザイン
中国切手「革命の揺籃《井岡山》」は、8種類の切手から構成される貴重な切手セットです。
優しいタッチで描かれた井岡山の風景は、中国革命の原点となった場所の息吹を感じさせてくれます。
各切手の詳細は、以下のとおりです。
✔ 茨坪(額面4分、発行枚数300万枚)
✔ 三湾村(額面8分、発行枚数500万枚)
✔ 茅坪八角楼(額面8分、発行枚数500万枚)
✔ 礱市(額面8分、発行枚数500万枚)
✔ 大井村(額面8分、発行枚数500万枚)
✔ 龍源口(額面10分、発行枚数250万枚)
✔ 黄洋界(額面10分、発行枚数250万枚)
✔ 井岡山主峰(額面52分、発行枚数130万枚)
ここからは、各切手の詳細について解説いたします。
「茨坪」切手
日本の一部のカタログでは「茨平」と表記されることもありますが、この地は中国の江西省の井岡山に位置する地域「茨坪」を描いたデザインです。
井岡山の中心部に位置する茨坪は、山々に囲まれた自然豊かな盆地です。1927年、毛沢東率いる部隊がこの地に到達し、中国共産党初の農村革命基地を建設しました。
茨坪の地形は、国民党の追撃から身を守る天然の要塞となりました。毛沢東たちは、この地でゲリラ戦を展開し、徐々に勢力を拡大していきます。さらに、農民との結びつきを深め、地元住民の支持を得ることに成功しました。
茨坪で築き上げた基盤は、その後の長い革命の過程で重要な役割を果たします。そして、1934年、毛沢東率いる紅軍は、この地を出発して長征へと向かいます。
中国共産党による「農村から都市を包囲し、武装による政権奪取」という戦略の象徴的な出発点となったのです。
現在、茨坪は井岡山エリアの観光中心地として多くの観光客が訪れる場所となっています。ホテルやお土産屋が並ぶ一方、当時の面影を残す建物も存在し、革命の歴史を肌で感じられます。
「革命の揺籃《井岡山》」の「茨坪」は、単なる切手デザインではなく、中国革命の原点となった場所の象徴です。この切手を通して、歴史の重みを感じ取れるでしょう。
「三湾村」切手
中国江西省井岡山にある小さな村、三湾村。この村は、中国共産党の歴史において特別な意味を持つ場所です。
1927年、毛沢東率いる紅軍は、国民党軍との激しい戦闘で大きな損害を受け、軍隊の再編を迫られました。そして、三湾村で実施されたのが、歴史的な転換点となった「三湾改編」です。
三湾改編は、紅軍(後の人民解放軍)の基礎を築き、党と軍の関係を強化しました。この出来事は、中国共産党が以後の長い革命戦争の基本的な軍事戦略と組織原則を形作る上で、非常に重要な役割を果たしたのです。
現在、三湾村には当時の面影を残す建物や資料館があり、多くの観光客が訪れています。三湾村は、中国共産党の歴史を語る上で欠かせない場所であり、中国革命の精神を受け継ぐ重要な場所として存在しています。
三湾村は、中国共産党の歴史と中国革命の精神を理解する上で重要な場所です。この村を訪れることで、中国共産党がどのようにして中国革命を成功させたのか、その一端を垣間見れるでしょう。
「茅坪八角楼」切手
中国江西省井岡山地域、茅坪村にひっそりと佇む茅坪八角楼。青い瓦屋根と八角形の天窓が特徴的なこの建物は、中国共産党の歴史にとって重要な役割を果たしました。
1927年から1929年にかけての井岡山革命期、毛沢東をはじめとする中国共産党の指導者たちは、この楼を拠点として活動したことで知られています。
毛沢東は、茅坪八角楼で生活し、重要な会議を開催しました。また、数々の著作や文書を執筆しており、中国共産党の初期歴史を語る上で欠かせない場所となっています。
現在、茅坪八角楼は歴史的価値のある革命遺跡として保存されています。多くの観光客が訪れ、井岡山革命の歴史を体感できる場所として人気です。
「礱市」切手
中国江西省にある礱市(現在の龍市鎮)は、美しい自然に囲まれた山間部にある小さな町です。清流と緑豊かな山々が織りなす風景は、訪れる人々を魅了します。
当時、この地域は中国共産党の初期の戦略的拠点として重要な場所であり、紅軍はこの地で多くの重要な戦略を練り、国民党軍との激戦を繰り広げました。
1928年当時、礱市は中国共産党にとって重要な戦略的拠点でした。毛沢東率いる紅軍は、この地で国民党軍との激しい戦闘を繰り広げ、多くの重要な戦略を練ったのです。
1928年4月、朱徳率いる南昌起義の残存部隊と農民軍が井岡山に到着し、毛沢東率いる部隊と合流しました。この歴史的な会合は「井岡山会師」と呼ばれ、中国共産党と紅軍の力を結集し、後の長征へとつながる結束の基礎を築いたのです。
井岡山会師は、礱市近郊の龍江河のほとりで行われました。現在、この場所には記念碑が建てられており、多くの観光客が訪れています。
礱市は、中国共産党の歴史における重要な転換点となった井岡山会師の地として、歴史的価値の高い場所です。美しい自然と歴史的な魅力が融合した礱市は、訪れる者に深い感動を与えてくれます。
「大井村」切手
中国江西省井岡山地域にある小さな村、大井村。この村は、中国共産党の歴史にとって重要な役割を果たした場所です。
1927年、毛沢東率いる革命軍は、秋収起義の後、井岡山を目指して進軍。その途中、大井村に立ち寄り、最初の拠点の1つを築きました。
大井村における活動は、井岡山革命の初期段階において非常に重要でした。毛沢東は、この地で農民と直接交流し、彼らの生活や苦難を理解したのです。そして、農民の支持を得るための政策を次々と実行していきます。土地改革や医療制度の整備など、農民生活の向上に尽力しました。
現在、大井村には当時の建物が保存されており、井岡山革命の貴重な記念地となっています。切手に描かれている白い建物は、毛沢東が住んでいたとされ、多くの観光客が訪れる場所です。
大井村は、中国共産党が農民との結びつきを深め、支持基盤を拡大していく過程において、重要な役割を果たしました。この村を訪れることは、井岡山革命の真髄を理解する上で欠かせません。
「龍源口」切手
中国江西省永新県にある龍源口は、井岡山革命における重要な舞台として知られています。とくに、1928年6月に起こった「龍源口の戦い」は、中国共産党指導下の紅軍が国民党軍に対して重要な勝利を収めた戦役として歴史に刻まれています。
龍源口は、山々に囲まれ川が流れる地形をしており、天然の要塞として紅軍にとって有利な戦場となりました。紅軍は、この地の地形を巧みに利用し、国民党軍の大規模な攻勢を撃退することに成功したのです。
龍源口での勝利は、紅軍の士気を高め、井岡山地域における共産党の影響力を大きく強化。さらに、地域の農民からの支持を得るきっかけとなり、革命の基盤を拡大する重要な役割を果たしました。
切手に描かれているのは、龍源口の象徴である「龍源口橋」です。この橋は、かつて人民元の3元紙幣のデザインにも採用されており、中国革命における重要なシンボルとなっています。
龍源口は、単なる戦場跡ではありません。中国共産党が苦難の末に勝利を掴んだ場所であり、革命の精神を受け継ぐ重要な場所として存在しています。
「黄洋界」切手
井岡山地域の黄洋界は、1928年の「黄洋界防衛戦」でその名を知られる、戦略的に重要な地点です。険しい地形と主要な通行路という条件が、紅軍にとって守り神の役割を果たしました。
黄洋界は、山と崖に囲まれた自然の要塞です。紅軍は、この地形を巧みに利用して国民党軍の進攻を阻止し、圧倒的な兵力差をものともせず勝利を収めました。
黄洋界防衛戦の勝利は、紅軍にとって大きな意味を持ちました。国民党軍の進撃を阻んだだけでなく、紅軍の士気を高め、その後の戦いに大きな自信を与えたのです。
現在、黄洋界にはこの歴史的な勝利を記念する石碑が設けられています。多くの観光客が訪れ、革命の足跡を辿っています。
黄洋界は、単なる戦闘地ではありません。中国共産党が苦難を乗り越え勝利を掴んだ場所であり、革命の精神を受け継ぐ重要な場所として存在しています。
「井岡山主峰」切手
中国江西省にある井岡山主峰は、標高約1586メートルの井岡山脈の中で最も高い山です。山頂部分が5本の手指のように見えることから、「五指峰」とも呼ばれています。
1927年から1930年にかけて行われた井岡山革命において、井岡山主峰とその周辺地域は、中国共産党による農村革命運動の重要な拠点となりました。毛沢東をはじめとする共産党指導者たちは、この地の険しい地形を活かして国民党の追撃を逃れ、農民と力を合わせて革命を進めていきました。
井岡山主峰は、共産党にとって単なる山ではなく、戦略的に重要な場所でした。山頂からは周囲を見渡せるため、敵の動きを察知し、戦術を練るのに最適な場所だったのです。
井岡山主峰は、中国共産党が苦難を乗り越え、勝利を掴んだ場所として、革命の象徴的な存在となっています。現在では、多くの観光客が訪れ、革命の歴史を体感しています。
▼中国切手「革命の揺籃《井岡山》」の詳細
・発行日:1965年7月1日
・額面:4分、8分、10分、52分(※100分=1元)
・切手デザイン:全8種類
・発行枚数:130万枚~500万枚
「革命の揺籃《井岡山》」切手の市場価値と買取について
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「革命の揺籃《井岡山》」は、額面以上での価値で取引されることが多く、高価買取の可能性が高い中国切手です。
切手の状態は価値を決める最重要ポイントです。
状態が悪いと価値が大幅に下がる場合もあり、専用のアルバムで保存するなど、保管方法には細心の注意を払いましょう。
切手収集の人気は過去に比べて減退しており、コレクター数も減少傾向にあります。状態が良い切手でも、市場の需要が低下すれば価値も徐々に下がる可能性があります。
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まとめ
中国では、「国民党軍からの進軍を防ぎながら井岡山で体制を整えつつ、大きな革命を成し遂げていった」という見方が一般的です。
しかし、実際には毛沢東率いる紅軍は追い詰められ、井岡山にたどり着いたという解釈も存在します。
それでも、井岡山での経験は、後の中国共産党の成功に大きく貢献したことは間違いありません。厳しい自然環境の中でゲリラ戦を展開し、農民と団結することで、紅軍は強固な組織へと成長を遂げていきます。
今の中国があるのは、この井岡山の存在が非常に大きく、切手の名称である「革命の揺籃」にふさわしい出来事だったといえますね。
現在、井岡山は中国全土から観光客が訪れる聖地となっています。革命の歴史を体感しようと、多くの人が足跡を辿っています。
今回発行された「革命の揺籃《井岡山》切手」は、中国共産党の革命史における重要な節目を表現した貴重な作品です。色あせしやすく保管が難しい切手ですが、良好な状態を保てれば、高価買取も期待できます。
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