切手の歴史を解説!日本ではいつから使われるようになったの?
普段、何気なく使用している切手ですが、その起源はどこにあるのでしょうか?
いつから使用されることになったのか、またそもそも「切手」という名前の由来とは?
そして、日本初の切手とは?
気になるポイントについてまとめてみたので、ぜひ参考にしてみてください。
目次
日本の「切手」の始まり
切手とは、はがきや封筒に貼りつけることで郵便料金を支払ったことを示す「証紙」の一種ですが、その歴史を語るには、そもそも日本の郵便の歴史について語る必要があります。
離れた場所に手紙や荷物を送ること自体は、はるか昔から行われていました。
特に江戸時代には、テレビ時代劇などで目にする「飛脚」が発展し、広く利用されていた歴史があります。
飛脚の起源をたどると、飛鳥時代の後期にさかのぼるといわれています。
そんな前時代の郵便に代わり、現代の形に近い近代的な郵便システムが誕生したのは明治時代のこと。当時は国の制度や文化などあらゆる面で「西洋化」が推進されていた時代でしたが、そんな中で郵便システムも海外を参考にして取り入れられるようになりました。
その立役者となったのは、前島密(まえじまひそか)という人物。
明治維新の先頭に立った薩摩・長州とは異なる越後(現在の新潟県)出身の人物でしたが、明治政府に与えた影響は大きく、江戸(東京)を日本の都とする「江戸遷都」を実現させたり、鉄道計画の立案を行ったりした功績があります。
そして、前島密は明治4年(1871年)に日本初の郵便事業を発議。最初は東京・大阪間のみでしたが、その後、全国に広まることになりました。
ちなみに、「郵便」「はがき」「切手」などの名称も前島密が生み出したものとされています。
日本初の切手とは?
そんな中、明治4年に誕生した日本初の切手が「竜文切手」と呼ばれるものです。
左右に向かい合う竜の姿が描かれていることから、その名で呼ばれています。額面は「文(もん)」で、竜に挟まれる格好で「銭四十八文」「銭百文」「銭五百文」などと書かれた切手が残されています。
ちなみに、デザインを担当したのは京都生まれの銅板画家・松田敦朝でした。敦朝は明治元年(1868年)、明治政府が発行した紙幣「太政官札」の製造に携わった経歴を持つ人物で、当時の大蔵省で「紙幣寮御用」に任じられ、竜文切手をはじめ、紙幣や証券の製作に携わりました。
竜文切手の登場以後、さまざまな切手が作られていくことになるわけですが、竜文切手そのものはそれほど長く使われていたわけではありません。
竜文切手の製造・販売が開始されてからしばらくして新貨条例の制定によって貨幣単位が一新され、「文」にかわって「円(圓)」「銭」「厘」が使用されることになったからです。
竜が向かい合うデザインはそのままに、新たな貨幣単位を使用した「竜銭切手」が発行されるようになり、竜文切手はその役割を終えました。
なお、竜銭切手もまた、「桜切手」の登場によって製造されなくなりました。
このような事情もあって竜文切手、竜銭切手はともに発行数・現存数が少なく、コレクターからの需要が非常に高い切手となっています。
ちなみに「世界初」の切手は?
日本の「竜文切手」からさかのぼること約30年前、1840年にイギリスで発行された通称「ペニー・ブラック」というのが世界初の切手とされています。
イギリスでは、切手が登場する以前にも郵便システムは存在しましたが、当時は手紙を受け取った人が料金を支払わなければならないなど手続きが煩雑で、あえて郵便システムを利用しないという人も多かったそうです。
しかし、「ペニー・ブラック」が登場したことで手続きがスムーズになり、郵便システムはより盛んに利用されることになりました。
ちなみに、「ペニー・ブラック」の価格は1ペニー(1ポンドの100分の1)。
当時の大英帝国に君臨していたヴィクトリア女王の横顔が描かれており、上部には「POSTAGE(郵便料金)」とあり、下部に「ONE PENNY」と書かれています。
黒の1色刷りの切手であることから、「ペニー・ブラック」と呼ばれるようになりました。
なぜ「切手」と呼ばれるようになった?
すでにチラッと紹介しましたが、「切手」の名付け親は日本の近代的な郵便システムを生み出した前島密です……が、「切手」という名前の具体的な由来とは何なのでしょうか。
「切手」は「切符手形」の略
切手の名付け親は前島密ですが、「切手」という言葉自体は、昔から存在していたものでした。
「切手」は、正確には「切符手形(きりふてがた)」の略で、一種の商品券を意味します。
たとえば、江戸時代に発行された「米切手」は、あらかじめ券を買っておくと、あとから券を米と交換することができました。同じく、菓子屋が発行した「饅頭切手」をはじめ、カツオ節や酒などと交換できる切手も生み出され、盛んに利用されてきた歴史があります。
前島密は、日本の近代的な郵便システムを確立するにあたって、庶民になじみの深い「切手」という名前を採用。人々はスムーズにその存在を受け入れ、郵便システムは定着しました。
ちなみに「切符手形」の「切符(きりふ)」は、言いやすく「キップ」と言い換えられ、これもまた近代の鉄道システムに導入され、現在に至っています。
ちなみに「はがき」「郵便」は?
ところで、前島密は「切手」とともに「はがき」や「郵便」という言葉も生み出していますが、それらの由来はどこにあるのでしょうか?
「はがき」は、漢字で書くと「葉書」となりますが、もともとは「端書(はしがき)」が語源であるとされています。
文書の空いたところ(端っこ)に書く「覚え書き」を指します(現在では書物の「序文」「前書き」という意味でも用いられます。ちなみに江戸時代には、借金の催促状が「端書」と呼ばれていたという記録もあります)。
前島密は「端書」を「葉書」と書き変え、「はがき」という名を定着させました。
「葉」が選ばれた理由については諸説ありますが、特に有力なのは「タラヨウ」という木の葉が由来になっているというものです。
タラヨウの葉は、表面にキズをつけるとクッキリと浮かび上がるという性質があることから、紙が一般化する以前の古代インドでは字を書くために使用されていました。日本でも、戦国時代にタラヨウの葉に字を書いていたというエピソードがあります。
このことから、「字を書くための葉=葉書」として採用されたという説があるのです。
1997年には当時の郵政省(現在の総務省)がタラヨウを「郵便の木」に指定しており、東京中央郵便局の前にはタラヨウの木が植えられています。
また「郵便」は、前島密が考案した和製漢語です。
江戸時代の飛脚が用いた宿所を意味する「郵」という字と、「手紙」「音信」などを意味する「便」という字を組み合わせたものとされています。
古い切手はコレクターの需要が高い!
今回は切手の歴史を中心に解説してきましたが、いかがでしょうか。
先述のように、日本初の切手である「竜文切手」と、それに次ぐ「竜銭切手」は発行数や現存数が少なく、切手コレクターの間では高値で取引されています。
また、その後に発行された「桜切手」をはじめ、古い切手の数々もまた高い価値を持ちます。
福ちゃんでは、そのような古い切手の査定・買取を積極的に行っています。
保存状態によって結果は異なりますが、高い価値を持つと思われる切手であればバラの1枚からでも査定を承っておりますので、ぜひ気軽にお問い合わせください。