着物作家・小宮康助とは?
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今回取り上げるのは、「江戸小紋」の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された着物作家・小宮康助(こみやこうすけ)です。
江戸小紋の人間国宝としては康助の子・康孝やさらにその子・康正をはじめ中村勇二郎など複数の作家がいますが、小宮康助はその元祖というべき着物作家といえます。
というのも、そもそも「江戸小紋」という名称は小宮康助が人間国宝に認定される際に考案された名称だからです。
そんな小宮康助の手がけた着物はいずれも高い価値を誇りますが、ここでは代表的な作品やプロフィールなどについて解説します。
小宮康助とはどんな着物作家?
小宮康助が生まれたのは、1882年のこと。
生家は代々の農家でしたが、康助は次男であったということもあって年少の頃に家を出て、浅草で小紋の染物を手がけていた浅野茂十郎のもとに弟子入りします。
茂十郎のもとで修業に励み、その才能を開花させた康助は26歳を迎えたときに独立。
まずは現在の台東区千束に工房を構えて気鋭の着物作家として活動しますが、1923年に関東大震災に遭遇。工房は被災して転居することになります。
その後、小紋を染めるのに適した水質の良い場所を求めて多摩川に近い場所に工房を構えますが、さらに良質な水を求め、中川の水を利用できる現在の新小岩に工房を構えることになりました。
その後は戦前・戦中を通じてコツコツと着物づくりに取り組み、太平洋戦争末期には空襲で焼け出されるという目に遭いつつも、江戸小紋を染めるための型紙だけは守り抜きます。
そして戦後も小紋染めを代表する着物作家として活躍。1955年、「江戸小紋」の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。
康助はその6年後の1961年に亡くなりますが、子の康孝や、さらにその子の康正といった人々に技術は継承され、現在に至っています。
小宮康助ならではの特徴とは?
すでに紹介したように、小宮康助は「江戸小紋」の重要無形文化財保持者(人間国宝)であり、「江戸小紋」という名称は康助が人間国宝に認定されるにあたって考案されました。
もともとは、江戸時代に豪奢な服装を禁じられた大名たちが、遠くからは地味に見えるものの近づいてみれば緻密な模様が美しく映える着物を好んで身につけたことが起源で、のちに庶民の間でも流行しました。
伊勢(現在の三重県)を主な産地とする伊勢型紙を使って作られるのが特徴で、職人たちが緻密な細工で彫り上げた型紙を生地に当てて染料にくぐらせて染め上げます。
小宮康助は、職人が作り上げた型紙を使って着物を染め上げる技術を極めました。
生地の表と裏を違う色に染める「しごき染め」という技法を積極的に用いるなど、江戸小紋の世界において革新的な役割を果たしています。
「極」と称される特に細かく緻密な模様を得意としたことも、小宮康助ならではの特徴として挙げられます。
小宮康助の作品紹介
ここでは、小宮康助が手がけた着物のうち、
特に代表的なものを紹介します。
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清雅地江戸小紋着物 極市松
黒みの強い記事に、極小の市松模様を散りばめた作品で、1958年に制作されました。
小宮康助ならではの緻密な模様の仕上がりが特徴となっています。
こちらは現在、国立工芸館に所蔵されています。 -
清雅地江戸小紋着物 極鶏頭菱
菱形に、秋の花として知られる鶏頭をあしらった模様が見られる作品で、シンプルでありながらも風雅なムードをたたえている逸品です。
こちらも同じく1958年に制作され、現在は国立工芸館に所蔵されています。
小宮康助の着物買取は
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小宮康助は、日本初の「江戸小紋」の人間国宝であり、緻密な模様が美しい着物の数々を世に送り出しました。
その作品の中には、国立工芸館などに所蔵されているものも少なくありません。
そんな小宮康助の着物は現在、状態にもよりますが数万単位の高価買取が期待できます。
とはいえ、買取査定の際に着物を見る査定士の目が確かなものでなければ、「単なる昔の着物」ということで不当に安い値をつけられてしまうことが考えられるので注意が必要です。
小宮康助の場合、亡くなって長い年月が経過しているため、状態が完璧とはいえない品物も多いでしょうが、そのような着物の場合は特に、価値をしっかり見定めてくれる業者に依頼することが大切です。
というわけで、小宮康助の着物の売却をお考えの際はぜひ福ちゃんにお任せください。
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