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着物作家・小宮康孝とは?
買取相場はどのくらい?

今回の記事では、着物作家の小宮康孝(こみややすたか)についてまとめてみました。

小宮康孝は、「江戸小紋」の重要無形文化財保持者(人間国宝)として知られる父・小宮康助に学び、優れた着物の数々を生み出しました。
その技術は高く評価されており、数々の賞を受賞。
さらに1978年には江戸小紋の技術によって人間国宝に認定されています。
後継者の育成にも熱心で、日本の着物のさらなる発展に寄与した功績もあります。

そんな小宮康孝の着物は、いずれも高い価値を誇ります。
状態にもよりますが、高価買取が期待できる着物作家のひとりです。

今回は、そんな小宮康孝のプロフィールや主な作品、さらに着物の買取相場などについてまとめています。

目次

小宮康孝とはどんな着物作家?

1925年、小宮康孝は東京の浅草に生まれました。

父は、すでに著名な着物作家として知られていた小宮康助
特に、江戸時代から連綿と続く「江戸小紋」で優れた手腕を発揮した父の康助はのちに人間国宝に認定されますが、康孝はそんな父に手ほどきを受け、小学生を卒業した1938年から早くも本格的に修行を開始します。

1942年、関東工科学校の電機科に入学。関東工科学校では夜に授業が行われていたので、康孝は昼間は父のもとで厳しく鍛えられ、夜は学校で学ぶという生活を送ることになります。

太平洋戦争が激化し、やがて日本が敗戦に向かって転落していく1945年、小宮家を悲劇が襲います

当時、小宮家では工場を建てて着物の制作を行っていましたが、戦争が末期になると日本は制空権を奪われ、激しい空襲にさらされるようになります。

そんな中、ある日の空襲で小宮家の家も、工場も全壊してしまうのです。

しかし、不幸中の幸いというべきか、江戸小紋で重要な存在である「型紙」は、父の康助が持ち出していたおかげで無事でした。工場は甚大な被害を受けたものの、再起の希望の火は消えませんでした。

康孝は甲府の連隊に入隊したものの、これもまた不幸中の幸いというべきか、ほどなく戦争が終わったため無事に幅員を果たします。

小宮家が再建に向けて動き出したのは、終戦から2年が経過した1947年のことでした。

再建後は、染料をより良いものに切り替えるなど新しい取り組みを積極的に行うようになります。

1952年、父の康助が無形文化財に認定されました。
ちなみに、現在使われている「江戸小紋」という名称は、このときに文化財保護委員会(現在の文化庁)によって名づけられたものです。そして3年後、法律の改正に伴って康助は人間国宝に認定されます。

康孝は、そんな父のもとでさらなる修行に励み、その技術を受け継いだ江戸小紋の着物を多数手がけていくことになります。

父が人間国宝となってから5年後の1960年、「江戸小紋 蔦」が第7回日本伝統工芸展で入賞したのを皮切りに、64年には「江戸小紋着物 十絣」で奨励賞を受賞するなど高い評価を受けます。

この間、父の康助が死去(1961年)。そんな中、1960年代には江戸小紋の制作に使用する型紙の改良に取り組み、江戸小紋のさらなる発展を模索します。

1970年代に入ってからは旺盛に制作を行い、1977年には自身初となる個展を開催。日本を代表する着物作家のひとりとして知られるようになります。

そしてその翌年、康孝もまた父と同じく江戸小紋の人間国宝に認定されました。

人間国宝認定後も、さまざまな作品展に出品したり、工芸技術記録映画の撮影に協力したり、個展を精力的に開催したりと、幅広く活躍しました。後進の育成にも熱心で、教えを授けた息子の小宮康正も、康孝の死後に人間国宝の認定を受けています(2018年)。

小宮家と「江戸小紋」

江戸小紋とは、すでに紹介したように小宮康孝の父・康助が国から重要無形文化財に認定される際、現在の文化庁が名づけたものです。

しかしその歴史は古く、期限は江戸時代の初期にまでさかのぼります。

そもそも「小紋」とは、型紙を使って細かい模様を全体的に散りばめた着物のことを指します

庶民のオシャレ着として室町時代頃に生み出されたものが起源となり、江戸時代初期に一気に発展したといわれています。

江戸時代初期に小紋を発展させたのは、大名たちでした。

当時の大名たちは派手な模様を好む人が多く、江戸幕府の参集に応じて江戸城に集まった際、色とりどりの裃を身につけてオシャレを競っていました。

対して江戸幕府はあまりにも派手になっていく大名たちの装いに苦々しい思いを抱くようになり、ついに「模様を控えるように」という規制を設けます。

しかし、当時は「こうしろ」と言われて「はいそうですか」と簡単に引き下がることが恥ずかしいとされていた時代であり、大名たちは巧妙に幕府の規制を逃れます。

一見すると無地に見えるものの、近づいてみたら繊細な模様が散りばめられているという江戸小紋を生み出し、こぞって着用することにしたのです。

パッと見た感じでは派手には見えないということで、幕府もこれを黙認。そして現在に至る江戸小紋の歴史がつむがれていくようになったのでした。

そのような来歴がある江戸小紋は、高い格式を持つ着物であるとされています。

古来、模様がたくさん入っている着物は正装として使用できないというルールがあり、細かい模様が全体に入っている小紋も本来であれば正装には使えませんが、「かつては身分の高い大名が使っていたのだから」ということで、正装にも使える着物となっています。

小宮康助から康孝へ、そして康正へと続く小宮家は、そんな江戸小紋の技術を継承し、発展させることに尽力しました。特に康孝は、戦後に染料や型紙の改良を行うなどして江戸小紋の発展に大きく寄与しています。

小宮康孝の作品紹介

人間国宝であり、生涯にわたってさまざまな賞を受賞して高い評価を得ていた小宮康孝。

その代表的な作品は、東京国立近代美術館やMOA美術館など各地の美術館にも所蔵されています。

ここでは、小宮康孝の代表的な作品を紹介したいと思います。

  • 江戸小紋菊通し着物

    江戸小紋は、型紙を使ってひとつのモチーフが綿々と規則正しく並んで連なっていくという独特の模様を染め抜いていくことが特徴ですが、こちらの着物で使用されているモチーフは「菊の花」です。
    厳かな印象を与える菊の花が並ぶ印象的なデザインの江戸小紋であり、格調の高さを感じさせます。

  • 江戸小紋着物「老松」

    こちらは、おめでたい柄として知られる「老松」をモチーフにした江戸小紋です。1976年に制作された着物で、落ち着きのある紫がかったブルーの色合いも美しく映えます。

  • 江戸小紋着物「極鮫」

    鮫肌のような見た目を生み出す「」は、江戸小紋を代表するデザインのひとつ。円弧が緻密に並べられているために遠目から見ると鮫肌に見えるという感じになっています。
    特に、こちらの着物は頭に“極”が付いた「極鮫」です。江戸小紋の世界では、“”がつく作品は特に手間がかかることもあって最も格式が高い高級品とされています。

小宮康孝の着物買取
価格はどれくらい?

江戸小紋の分野で高い評価を受け、人間国宝に認定されている小宮康孝。その着物は、状態にもよりますが8万円ほどが買取相場となっています。
ただし、時期によって価格は前後するので要注意です。

そんな小宮康孝の着物を買取に出す際は、きちんと着物を見る“目”を持った買取業者に依頼することがおすすめです。

生半可な業者に任せてしまうと、正確な価値を引き出してもらえず、不当に低い額で買い取られてしまう可能性があるからです。

私たち福ちゃんは、着物の買取に関する知識・経験が豊富な査定士を抱えています。

小宮康孝の着物に関しても、しっかり査定したうえで適正価格をつけさせていただきますので、ぜひ一度お声がけください!

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