着物作家・玉那覇有公とは?買取相場はどのくらい?

今回は人間国宝の着物作家である玉那覇有公についてまとめてみました。
玉那覇有公は、沖縄の「紅型」と呼ばれる染物で初めて人間国宝となった人物です。
玉那覇有公の作品は鮮やかな色と美しい草花、彼が確立させた「二枚異型」という技法が特徴となっており、着物の買取の世界でも大変注目されています。ここでは玉那覇有公が編み出した「二枚異型」を完成させるまでのエピソードや生い立ち、また具体的な買取金額についても解説します。

玉那覇有公とはどんな着物作家?

玉那覇有公とはどんな着物作家?

玉那覇有公は1936年、沖縄県の石垣島で誕生しました。

学校を卒業した玉那覇有公は、初め地元・石垣島の鉄工所の従業員として働いていましたが、のちに那覇市に渡って鉄鋼関係の仕事を探します。

那覇には知り合いや親戚がおらず、家を借りるなどの際に必要な保証人すら見つからないという状況でしたが、こうした状況にくじけることなくアルバイトとして働き続けました。

しかしある日、工場の機械に手を挟んでしまうという事故が起こります。

幸い手の切断のような重傷には至りませんでしたが、大きな怪我を負っていることに違いありません。

とはいえ、当時の玉那覇有公は治療のためのお金すら払えないという状況にいました。「自然治癒に頼るしかない」という厳しい生活を送っているさなか、のちに妻となる城間道子と出会います。

城間道子は、「城間家」として知られる紅型の名家の娘でした。

当時の当主は道子の父である城間栄喜という人物で、第二次世界大戦で途絶えかけた紅型を復活させ、こうした功績が認められ、人間国宝に選出されている有名な「紅型師」です。

ちなみに栄喜は、「生涯職人である」という理由で人間国宝は辞退。この件も有名なエピソードとして語り継がれています。

道子はそんな父の仕事を支えてきた「助手」であり、城間栄喜は彼女にも紅型の道を継いでほしいと願っていました。

結果的に城間家は現在、栄喜の長男である城間栄順が継いでいますが、当時、玉那覇有公が道子と結婚するということは、「紅型の道に入る」ということを意味しました。

こうして、これまで紅型にまったく縁がなかった玉那覇有公が、突如紅型の道に進むことになったのです。

玉那覇有公は、鉄工所で働いていた時代に負った怪我が影響し、自らやると名乗り出た型紙作りが難航するというエピソードもありましたが、これを何とかやり遂げることで城間家の一員として認められるようになりました。

そしてある日、城間栄喜が「両面染め」の技を伝授します。

両面染めは、片面のみを染める従来の方法に比べて非常に難しい技法とされていますが、現在でいう「リバーシブル仕様」になるのが特徴です。

玉那覇有公が城間栄喜から両面染めについて説明を受けたのは一度きりだったととされていますが、玉那覇有公は見事に技術を修得し、両面染めを自分のものにしました。

その後、「紅型師」として独立を果たした玉那覇有公は「二枚異型」という技法を確立させます。

二枚異型はあえて異なる型紙を使ってひとつの着物を染めることで、模様に密度が増し、さらに完成度の高い紅型に仕上げる技法ですが、当時これができるのは玉那覇有公ただひとりでした。

こうして人生のほとんどを紅型に捧げた玉那覇有公。

60歳となった1996年、「紅型師」としては史上初の人間国宝に認定されます。玉那覇有公は現在も、彼にしかできない「琉球紅型」を作り続けています。

重要無形文化財「紅型」

重要無形文化財「紅型」

「紅型(びんかた)」は、沖縄で生産される染物です。

「紅」といえば赤い色をイメージする方が多いと思いますが、ここでいう「紅」は「」を指す言葉で、赤だけを指すわけではありません。

紅型には、赤のほか沖縄の鮮やかな草花をイメージした緑や黄色、紫、そして澄んだ海の色をイメージした青などが使われ、独特な文様が用いられるという特徴を持ちます。

琉球王朝時代には、ごく一部の上級階級の者しか着用することを許されなかったという紅型。かつては、礼装としての位置づけにあったといいます。

また、階級ごとに着用できる「」があったといい、王族の礼装は生糸で織られた金(黄色)、貴族は「紗綾(さや)」と呼ばれる水色、中流階級は「藍型」と呼ばれる藍色のみだったという記録が残っています。

しかし、江戸時代になると紅型師も減少します。

さらに繰り返される戦争によって紅型は徐々に失われていきました。

そんな紅型を戦後復活させたのが、今回取り上げている玉那覇有公の義父・城間栄喜だったのです。

1950年には「紅型保存会」が結成。1958年には紅型の技術を持つ作家たちが県立首里高等学校で「染色過程」の授業を行うなど、後継者の育成にも力を入れるようになりました。

そして1984年、紅型は「伝統工芸品」に指定されます。その後、現在も地元の職人たちによって丁寧に手作りされ続けています。

玉那覇有公の作品紹介

玉那覇有公の作品紹介

玉那覇有公の作品は緻密な図案が特徴といわれています。

ここでは、そんな彼の作品をいくつか紹介していきたいと思います。

芭蕉布両面紅入り藍形

1978年、第25回日本伝統工芸展に出品したこの作品の最大の特徴は「芭蕉布」であるということ。芭蕉布とは沖縄本島北部にある大宜味村の喜如嘉で作られる織物で、糸芭蕉を用いて作られます。

芭蕉布は「糸芭蕉の栽培から始まる」とされており、原料や作り手が少ないことから、現在では非常に希少価値の高い織物となっています。

そんな芭蕉布を贅沢に使用したこの作品は、日本工芸会奨励賞を受賞しています。

苧麻地紅型着物「でいごの花」

1988年、年号が「平成」になって初めて開かれた日本伝統工芸展に出品した作品です。

この作品は芋麻(ラミー)が使われているのが特徴で、日本では沖縄や鹿児島県の一部でしか見られない「デイゴ」を一面にあしらっています。

苧麻地紅型両面着物「草花」

1991年、日本伝統工芸展に出品されたこの作品は、文部大臣賞も受賞しています。

「作者(玉那覇有公)はこの伝統を習得した上で、新しい文様の創造に挑戦し、見事に成功している」ということ、そして両面染めという高度な技術が評価のポイントとなったと記録されています。

玉那覇有公の着物買取価格はどのくらい?

玉那覇有公の着物買取価格はどのくらい?

城間栄喜のもとで技術を学び、これまでにない「両面染め」という技法を確立させた玉那覇有公。人間国宝に指定されている彼の着物は中古市場でも大変人気があり、高い需要があります。

基本的に中古着物は「状態」「希少性」「産地」などが評価のポイントとなりますが、玉那覇有公のような人間国宝が手がけた着物となると、さらなる付加価値が付きます。

時代によって着物の価値は変化しますが、約20万円という値段がつくこともあります。

より高く買い取ってもらうポイントとして、「証紙」などの付属品を揃えておくこと、シミやカビ、変色がない状態で査定に出すことなどがあげられます。

しかし、「シミがある」「証紙はない」……そんな状態でも諦めないでください。弊社には着物に精通した査定士が在籍しており、他店で断られてしまった着物の買取実績も多数ございます。

また、玉那覇有公などの作家物着物の高価買取にも自信がございますので、紅型の売却をお考えの際は、ぜひ福ちゃんまでお問い合わせください。

なお、査定・買取はすべて無料です。
満足いただけない場合はキャンセルも可能で、その場合のキャンセル料もいただきません。着物の買取のことなら、ぜひとも福ちゃんにお任せください。

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