「松山の楽山焼ってなに?」
「愛媛の楽山焼は買い取ってもらえる?」
など、愛媛県松山市の楽山焼について知りたいとお考えでしょうか。
そこで、当記事では、愛媛県松山市の楽山焼の特徴や買取相場などを解説します。
楽山焼の歴史や、福ちゃんでの買取事例もご紹介していますので、ぜひ参考にしてください。
愛媛県松山市の楽山焼とは
楽山焼(らくざんやき)は、愛媛県松山市で焼かれる陶芸品です。
島根県松江市にも、松江藩2代目藩主の松平綱隆の命により倉崎権兵衛が築窯した楽山焼がありますが、この記事で記述する松山市の楽山焼とは無関係といわれています。
まずは松山市の楽山焼について、特徴や歴史、楽山焼の代表的な陶芸家である玉井楽山の略歴を紹介します。
特徴と歴史
楽山焼は、江戸時代に愛媛県松山市で窯場が開かれました。
大名の城館や貴顕の別荘などの庭園内で、趣味的に焼かれた陶磁器のひとつであると考えられています。
松山藩の3代目藩主である松平定長が「あな寒し かくれ家いそげ 霜の蟹」という句を詠んだことで、作品に立体的な蟹がデザインされるようになりました。
蟹のモデルはアカテガニで、愛媛地方では天神蟹(てんじんがに)と呼ばれています。
玉井楽山の略歴
愛媛県松山市の楽山焼を語る上で欠かせない人物が、3代目玉井楽山(たまいらくざん)です。
彼は1924年に松山市で生まれ、陶芸家への道を歩むべく京都美術工芸学校へ進学。卒業後は、京焼陶芸家として多種多様な作品を残している伊藤翠壺に師事し、技術を磨いたことで、独自の作風を確立したといわれています。
修行の日々を経て3代目玉井楽山を継承すると、天神蟹をはじめとする数々の作品を生み出し、日展で入選するなど、数々の実績を残しました。
玉井楽山は1990年に亡くなり、現在は作品が途絶えています。しかし、その功績と作品は「愛媛を代表する陶芸品」として今日まで大切にされています。
楽山焼の買取価格
楽山焼の買取相場や福ちゃんで実際に買い取った「天神蟹彫湯呑」の価値を紹介します。
買取相場
一般的な骨董品の買取相場を鑑みると、愛媛県松山市で焼かれた楽山焼は、数千円から数万円で取引されているケースが多く見られます。しかし、作品の状態・希少価値・大きさ・形状・単品かセットかにより、買取相場は大きく変動するのが常です。
よって、ここに明確な買取相場を提示することは、むずかしいといえます。
しかしながら、天神蟹の装飾が施された作品は人気が高く、現在は作られていないことから希少価値も高いため、条件が揃えば数十万円での買取が期待できるようなお品物もあります。
「天神蟹彫湯呑」の価値