【中国切手】アルバニア労働党30周年(全4種)の特徴と詳細、買取市場について解説
目次
「アルバニア労働党30周年」切手とは
「アルバニア労働党30周年」は、1971年に中国で発行された記念切手です。アルバニア労働党の結成30周年を記念し、発行されました。
アルバニア労働党はバルカン半島に位置する「アルバニア人民共和国」(※現在は「アルバニア共和国」)の社会主義政党で、1941年から1991年までアルバニアの唯一の政党でした。
この党はアルバニアの共産主義者によって設立され、「エンヴェル・ホッジャ」が長年にわたり指導した政治組織です。
ホッジャは第二次世界大戦後の1944年から1985年までアルバニアを支配し、彼の支配下でアルバニアはスターリニズムと社会主義の厳密な形式を採用しています。
西洋の資本主義国と、東側のソビエト連邦や中華人民共和国などと友好関係を結んだ時期がありながらも、最終的には対立する孤立した国家となりました。
同記念切手が発売された時期の1960年代から1970年代にかけては、中国共産党とアルバニア労働党は非常に密接な関係にあった時期だったため、労働党の周年をお祝いする記念切手の発売が実現しています。
「アルバニア労働党30周年」切手の特徴やデザイン
「アルバニア労働党30周年切手」は4種類のデザインで完結となる記念切手です。それぞれのデザインテーマは以下のようになっています。
・党第一書紀「エンヴェル・ホッジャ」
・建党記念館
・国旗と銃とつるはし
・兵士、女民兵、労働者
党第一書紀「ホッジャ」の切手は、発行枚数450万枚で二番目に発行枚数が少ないデザインです。アルバニア労働党の第一書記であった「エンヴェル・ホッジャ」が右の拳を大きく上に突き出し、演説している様子が描かれています。
「建党記念館」と「国旗と銃とつるはし」の切手は、発行枚数1,750万枚となっており、このシリーズの中では発行枚数が多いデザインです。
「兵士、女民兵、労働者」の切手は、発行枚数125万枚で一番少ない発行枚数のデザインです。これら4枚のデザインの内、ホッジャが描かれた切手は党のシンボルとしての人気がある一方、こちらの切手は発行枚数が他のデザインと比べて少ないことによる希少性が注目されています。
▼「アルバニア労働党30周年」切手の詳細
・発行日:1971年11月8日
・切手デザイン:全4種
・額面:8分、52分
・発行枚数:125万枚~1,750万枚
「アルバニア労働党30周年」切手の市場価値や高く売るコツ
発行枚数が限られている中国切手のすべてに価値があり、高値で取引されているわけではありません。切手買取では、発行枚数や希少性のほかにも、切手の状態や時期によっても買取価格は変動します。
「アルバニア労働党30周年切手」買取を検討中の方に役立つ、「少しでも高く売るためのポイント」について下記で紹介します。
セットまとめ売り
アルバニア労働党30周年切手は、4種のデザインが存在している記念切手です。そのため、バラバラの状態よりも「セットの状態」で売りに出したほうが、高値になる場合があります。
当然、すべて揃っていなくても、一枚ずつに価値を持つ切手です。しかし、セットの状態で査定を依頼することで、高価買取の可能性が上がります。全種を揃えた状態でお持ちでしたら、セットでまとめ売りをするとよいでしょう。
切手保存状態
価値のある中国切手は、状態が良いほど人気も高くなります。可能な限り良い状態を保てるように、切手を大切に保管しておきましょう。
汚れや破れ、ヒンジ跡の有無によっても買取価格は変わってきます。切手を少しでも高く売るためには、直射日光による色あせにも注意しながら、切手専用アルバムに保管しておくことも大切です。
まとめ
アルバニアはねずみ講のイメージも強いですが、日本と同じように鎖国していた時期もあるため、独特の建築物や街並みが残っている素敵な国でもあります。
「アルバニア労働党30周年切手」が発売された当時のアルバニアは共産主義国だったこともあり、「アルバニア労働党=エンヴェル・ホッジャ」の色合いが強いものとなっています。
毛沢東が亡くなってからしばらくして、アルバニアは中国との関係を断絶してしまいました。毛沢東が健在の頃、アルバニアに対して「海内存知己、天涯若比隣」(心の知れた友がいれば遠く離れていても近く感じるものだ)の詩を引用して、両国の関係性の良さを表現していましたが、それまでの関係に終止符を打ったのです。
そして現在の状態を考えると、「アルバニア労働党30周年切手」は歴史や時代を感じることのできる記念切手だといえるでしょう。今後、中国でアルバニアに関する記念切手発行の可能性は極めて低いことからも、貴重な中国切手の一つです。